謎好きにゃんこの妄想

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忠臣蔵って何か変ニャ 本当に「忠義の仇討ち」?

今年もまた"あの時期"が近づいて参りました。

忠臣蔵

日本人なら知らない人はいない、最近ではハリウッドでリメイク版まで作られて海外でも多少知られつつある、忠義の志士の物語。
こういうの、日本人の琴線に触れるんですよね。無念の死を遂げた主君の仇討ち。以前は私も、忠臣蔵とは忠義の仇討ちの物語、そう思ってました。

でも、日本史に興味を持つようになってから少しずつ疑問を持つようになりました。



忠臣蔵」って何か変。


あれって筋通ってます?

もしかして私達、騙されてませんか?


        ▽▲▽▲▽▲


疑問1 吉良上野介は本当に悪い人だったの?


忠臣蔵」では、吉良上野介に度重なる嫌がらせを受けて、我慢の限界に達した浅野内匠頭が斬りかかった、とされています。

吉良上野介は本当にそんな嫌がらせをしたのか?

ご存じの方もいると思いますが、確認はされていません。浅野内匠頭自身も、斬りかかった具体的な理由については最後まではっきりとは明かしませんでした。真実は内匠頭と共にお墓に入ってしまったわけです。
斬りかかる時に内匠頭が言った事になっている「この間の遺恨、覚えたか~!」も実際には言っていない、という話もあるそうです。

また、吉良は領民たちから名君として慕われていたと言われ、今でも地元では毎年吉良上野介を偲ぶ行事が行われています。
そんな人が袖の下が少なかったとか、或いは塩の産地同士のライバル意識とかで、稚拙な嫌がらせをするものでしょうか?
しかも、朝廷からの使者をもてなすという、徳川幕府の威信がかかった場で。下手をすれば赤穂藩の失態の責任を、指南役である吉良自身が負わなくてはいけないかもしれないのに。
もし、吉良が忠臣蔵で描かれているような、高慢ちきで底意地の悪い卑小な人物だったなら尚更、保身には敏感なんじゃないかと思うのですが。

嫌がらせが絶対なかったとは言いきれませんが、あまりにも説得力が無さすぎる気がします。



疑問2 なぜ浅野内匠頭は刃傷沙汰に及んだのか?


では何故、内匠頭は吉良に斬りかかったのでしょう?

一つの説として、内匠頭が精神的な病を抱えていたというのがあります。
叔父さんだか誰かが、大した理由もないのに突然乱心して家来を斬り殺したとかいう話もあり、血筋的にそういう気があったとも言われています。
病とまでいかなくても、キレやすい性格だったという説もあります。

もし、この説が事実だったとしたら、吉良上野介は大した理由もなく、たまたま目についたから標的にされたという可能性もあります。現代の「誰でもよかった」というのと同じような感じで。
内匠頭が具体的な動機を明かさなかったのも、話さなかったのではなく話せなかった、何故なら理由らしい理由がなかったから、という推測も成り立ちます。



疑問3 喧嘩両成敗の理屈は成り立つのか?


赤穂浪士が大義名分に掲げたのが「喧嘩両成敗の正道に反する」という理屈。
内匠頭だけが切腹を申し付けられ、吉良はおとがめなし。これは、喧嘩両成敗の正道に反する不公平な処分だというもの。

でも、あの事件、喧嘩と呼べるのでしょうか?
吉良は最後まで刀を抜いていません。刀を抜いていない、しかも高齢の、しかも指南役である相手を、その教えを乞う立場の者が一方的に斬りつけた。
これ、少なくとも現代人の感覚では喧嘩とは言えません。当時の武家の考え方では喧嘩になるんでしょうか?

私には、赤穂浪士が、或いは何らかの意図を持った誰かが討ち入りを正当化するために無理矢理捻り出した屁理屈に思えるのですが。



疑問4 幕府の処分は不当だったのか?


内匠頭に即日切腹を命じた幕府の判断は不当、不公平だったのでしょうか?

内匠頭の行為は「むやみに刀を抜いてはいけない殿中で」「刀を抜いていない老人を一方的に斬りつけ」「主君である徳川家の顔に泥を塗った」行為です。
幕府は内匠頭からちゃんと話を聞こうとしていたようです。取り調べをして自己弁護の機会をきちんと与えています。問答無用で処断したわけではありません。

更に、応戦するでもなくただ逃げようとしただけの無防備な老人を討ち損じた。これは当時の考え方からすれば「武士として不覚」ではないのでしょうか。内匠頭は何重にも「やっちまった」状態なのではないでしょうか。
切腹を許されただけでも充分温情判決だと私は思うのですが。

一方の吉良には、一応表だってのお咎めはなし。これは当然でしょう。吉良はあくまで被害者なのですから。
例えば、吉良が普通に道の往来で内匠頭に斬りつけられっぱなしだったら、これもまた「武士として不覚」でしょうが、この場合は応戦しなくて正解でしょう。

もし吉良が嫌がらせしていたのが事実だったとしても、内匠頭の行為は正当化できないと思います。
従って幕府の処分が不当だとするのは無理があると私は思います。



疑問5 吉良襲撃は仇討ちと呼べるのか?


赤穂浪士にとって吉良は仇なのでしょうか?
吉良が内匠頭を斬りつけて殺したのならそうなるでしょう。でも実際はそうではない。どんな理由があったとしても浅野内匠頭が加害者で、吉良上野介は被害者であることに変わりはない。
加害者の身内が被害者を襲うって、普通に考えればあり得ない、無茶苦茶な理屈ではないですか?逆恨み以外の何物でもない。
そもそも赤穂藩は何で被害者ヅラしているんでしょうか。

処分に不服があるなら恨むべき相手は幕府でしょう。即日切腹を申し付けたのもお家とり潰しも幕府の判断です。吉良には関係ない。

吉良を討ち損じた殿はさぞかし無念であられただろう。その無念を我らが晴らす、という事なら、赤穂浪士の立場からすればそれなりに筋が通っているとは思います。もちろん吉良の側からすれば、とんでもない話ですが。
でも、もしそうならそれは仇討ちではないと思うのですが。




当時の武家の間の問題を現代の感覚で測るのは無理があるとは思います。
でも改めて考えるとやっぱり変。

以前は私も忠臣蔵の話は忠義の仇討ちだと思ってました。疑問を持った事もありませんでした。赤穂浪士は正義、吉良は悪人。物心ついた頃から毎年のようにTVでドラマを見て、主君の仇討ちを果たした忠臣の物語、と刷り込まれ続けてきたため、改めて「それってどうなの?」と深く考えてみたことはありませんでした。


忠臣蔵」に疑問を持つようになってから、吉良上野介やその一族子孫の方たちに対する同情と申し訳なさを感じるようになりました。
忠臣蔵」で描かれていることの何がどこまで事実なのかわからないのに一方的に悪者にされて、日本人の侮蔑と憎悪を何百年も受け続けてきたわけですから。どれだけ肩身の狭い思いをして生きてこられたのか。どれだけ悔しい思いをしてこられたのか。

繰り返しになりますが、たとえ吉良上野介が「忠臣蔵」通りの意地悪じじいだったとしても、浅野内匠頭の行為も赤穂浪士の自称仇討ちも正当化できないと思います。どう考えても、何回考えても私には納得できない。
普通に考えれば内匠頭は加害者。その家臣である赤穂藩士は吉良上野介に、主君のしでかした事を詫びるのが本来は筋ではないですか。それを詫びるどころか襲って殺すなんて、こんな不条理な話があるでしょうか。
それなのに「忠臣蔵」の中では内匠頭も赤穂浪士も悲劇の主人公のように持ち上げられている。何をどう理解すればそういうおかしな事になるんでしょう。考えれば考えるほど、そんなおかしな事が何百年もまかり通っている事が私には不思議でしょうがありません。

傷害事件の加害者と逆恨みしたその身内がなぜこんな風に祀り上げられたのか、当時の世論や雰囲気を反映した自然発生的なものなのか、それとも誰かが何らかの意図を持って煽動した結果なのか。単に当時の歌舞伎界が事件を分かりやすい勧善懲悪の話として脚色して、その演目が庶民にウケてしまったのでそのままこうなってしまったのか。


こういう私の考えが間違っているのでしょうか?もしかしたら事件に対する私の見方が偏っているか、あの時代の武家の考え方に対する理解・知識が不足しているのかもしれません。
でも、やっぱり私には「忠臣蔵」には多くのゴマカシが含まれているようにどうしても思えてしまうのです。

もちろん、赤穂浪士側にやっぱり分があって、吉良は本当に恨まれても仕方のない人だった、赤穂浪士に討たれても仕方のない事を内匠頭にした可能性もあります。
それでも、現状何が真実かわからず、吉良が一方的に悪者にされている以上、私は吉良側に立ちたいと思います。


もう一つ。
吉良上野介一族以外に気の毒に思うのが、自称仇討ちに加わらなかった赤穂藩士達とその一族です。この人達もやはり随分肩身の狭い、辛い思いをしてこられたと思います。「忠臣蔵」がもて囃されればもて囃されるほど。
当時の武家の考え方がどうかはわかりませんが、自称仇討ちに加わる、加わらないはそれぞれの置かれた立場、事情によって判断が分かれて当然だと思います。加わらなかったと言って不忠だとか命を惜しんだ卑怯ものとは言えないと思います。
むしろ庶民が赤穂浪士による仇討ちを期待していたと言われる当時の空気の中で、自称仇討ちに加わらないという決断を下し、吉良を討った四十七士をもてはやす雰囲気の中で、肩身の狭い思いをしながら生き続ける事を選んだ、その生き方も勇気のいる事だったと思います。

また、例えば内匠頭が本当に精神的病を抱えていた人で、家臣たちは皆その事を知っていて、吉良に落ち度がなかった事をわかっていた可能性だってある。その場合吉良を討つ理由はないのですから、自称仇討ちに加わらなくても何ら不思議はないわけです。もしそうなら吉良を討ちに行った大石内蔵助以下四十七士の方がおかしいという事になる。内匠頭の精神的病という、赤穂藩にとって世間に知られたくない事実から目を逸らすために「吉良が意地悪したらしい」という噂に乗っかって吉良を悪者にして内匠頭の名誉を守ろうとした可能性だってあります。

このように可能性を論じれば、いくらでも出てきます。


とにかく真実はわかっていない。
なのに「忠臣蔵」の物語が一人歩きしていて、吉良が一方的に悪者にされている。

だから私は吉良擁護、反赤穂浪士の立場をとることにしました。別にそれでどうなるというわけでもないけれど、単なる自己満足なんですけど、あまりに今の状態が不公平だと思うので。



忠臣蔵に限らず、歴史的事実と一般に思い込んでいる事が全然真実じゃない事はたくさんあります。
歴史は勝者が作る、時の権力者によって歪められでっち上げられる。後の世の人がその時々の都合に合わせて「事実」を書き替える。
自分に直接関係なければ単なる歴史の一ページですが、当事者にとっては人生を左右する、大変なことです。
いや、当事者でなくても、歪められ書き替えられた事を信じこまされている事自体、恐ろしいことです。それを気づかないでいることはもっと恐ろしいです。

きっと今現在も私が知っていると思っている歴史、物事の多くは、多分真実とは違っていると思います。そもそも、本当に本当のところというのはなかなかわかるものじゃないと思います。メディアの流すニュースもネットに溢れている情報も何がどこまで正しいのか。





歴史の事実はどうあれ、とりあえず私はアンチ「忠臣蔵」でいきます。

でも「忠臣蔵」ファンの人に喧嘩を売る気はありませんのであしからず。






12月に入って仕事が忙しくなり、毎日きちんとブログ更新という当初の目標が実行できなくなってしまいました。
でも、ここは仕方ない。無理に形だけの更新をしても意味がないですから。

仕事が忙しいというのは有り難い事です。私のような、特にスキルも資格もない者でもそれなりに必要としてもらえてるという事ですから。

まさしく猫の手も借りたい状態。


ここで1句。


師も走る  
   にゃんこも走る 
        師走かな





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