大戦中、看護婦として働いた経験から薬に対する知識を得たクリスティ。
特に毒薬に魅せられたみたいで、詩まで書いています。
とは言っても、クリスティに物騒な志向があったとは言えません。
ほとんどの作品で殺人を扱っている推理小説ですが、推理小説を書いているから、或いは推理小説が好きだから、殺人願望があるとは言えないのと同じです。
では、クリスティは毒薬のどこに魅せられたのか?
単純に、色つきの半透明のガラス容器に入った液体が、光を反射してキラキラ輝いて綺麗だった、っていうのもあったでしょう。クリスティの書いた詩にそんな風な記述がありましたし。
その美しさと、毒薬という物の性質とのギャップに魅了されたのかもしれません。
薬品というものは、取り扱いが難しい物質です。使い方次第で毒にも薬にもなる。
例えば、クリスティの処女作「スタイルズ荘の怪事件」に出てくるストリキニーネ。毒薬として知られ、この作品の中でも、サインをしないと購入できない劇薬、と説明されています。
富豪の老婦人、イングルソープ夫人殺害に使われたストリキニーネですが、夫人が常用していた薬にもストリキニーネが含まれていました。
つまり、同じストリキニーネでも、医者の適格な処方によって調合されたものは薬となり、一定の量を越えると人の命を奪う、という事です。
使い方一つで、人を癒すことも殺す事も出来る毒薬。
そこに、クリスティは神秘の力のようなものを感じたのではないでしょうか。
「スタイルズ荘の怪事件」は、クリスティの処女作であり、ベルギーから戦争難民としてやって来たエルキュール・ポアロが、イギリスで初めて手掛けた事件でもあります。生涯の友、相棒のヘイスティングスと一緒に謎に挑んだ最初の事件でもあります。
「スタイルズ荘の怪事件」から数十年が経ち、初老の紳士となったヘイスティングスの元に、ポアロからの手紙が届きます。
「私は今、スタイルズ荘にいる。君も来ないかね?」
こうした導入で始まるのが、ポアロ最後の事件「カーテン」です。
スタイルズ荘は今では高級下宿となっており、ポアロ以外にヘイスティングスの娘ジュディスも逗留していました。
ジュディスは医学博士の助手として、カラバル豆なるものから抽出されるアルカロイド系物質の研究をしていました。
このカラバル豆は、西アフリカのある部族の間で「正邪を裁く豆」と呼ばれていました。その豆を噛むと、罪ある者は死に、罪なき者は助かる、そう信じられていたのです。
実は、よく似ていてほとんど見分けがつかないものの、カラバル豆には二種類あり、一方には致死性のアルカロイドが含まれ、一方には害のない、逆に風土病に効く成分が含まれていた、という、科学的に説明のつく話で、神秘の力でも何でもなかったのですが。
ただ、この「正邪を裁く豆」を「カーテン」で使ったところに、私はクリスティの特別な意図を感じました。
スタイルズ荘という同じ舞台。
ポアロとヘイスティングスの最初の事件「スタイルズ荘の怪事件」で使われたストリキニーネ。
二人の最後の事件「カーテン」で使われたカラバル豆。
どちらも、毒としても薬としても使われるもの。
これは、偶然などではないと思います。
私は「カーテン」を、クリスティ作品の中で比較的あとの方に読みました。
前々から、クリスティが書いた毒薬についての詩を読んで、何でそんなに毒薬にこだわっているのか、どこにそんなに魅了されているのか、不思議に思っていました。
ずっと不思議に思っていた、その答えを「カーテン」を読んだ時に見つけた気がしました。
人間には二面性があります。
完全な善人、完全な悪人はいない。
「妖怪人間ベム」が描いた本質。
「人間は善と悪で出来ている」
そんな人間の姿は、クリスティが魅せられた毒薬にどこか重なる。
それも、クリスティが毒薬に魅せられた一因かもしれません。
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