謎好きにゃんこの妄想

謎と名のつくものに目がないにゃんこ好きが妄想脳で綴るブログですニャ

ちょっぴりマニアックに 知る人ぞ知る海外スター 女優篇

※2023.9.12 改訂

最近はそうでもないのですが、昔はそこそこの映画マニアでした。リアルタイムで観たもの、ビデオなどで借りて観まくった古いもの、ジャンルも、過激なバイオレンスが売りのもの以外は幅広く観てきたと思います。


いろいろ観てきた中で「何でこの人、こんなに人気があるの?」と不思議に思うスターがいます。トム・クルーズとかトム・クルーズとか、トム・クルーズとか。
逆に「何でこんな素敵な俳優さんが、世の中にあまり知られてないんだろう?」と思う事も多い。残念。

そこで、別の意味で「残念な」海外の俳優さんについて語りたいと思います。



★日本人好みのイギリス美女 リン・フレデリック

この方、「ピンクパンサー」で有名なイギリスの名優ピーター・セラーズの奥さんで、ピーセラの死後莫大な遺産を相続してピーセラの遺児と揉めた、なんて事の方が有名で、女優としてはあまり評価されていない方です。あ、失礼、若くして亡くなっているので、方でした、と言うべきですね。美人薄命。

実は私、リン・フレデリックの出演作、「さすらいの航海」という、豪華キャスト共演の1本しか観ていません。

元々は、映画雑誌に載ってた写真を見て「何て綺麗な人なんだろう!」と、清楚で品のある美貌にすっかり魅了されたのが始まり。単に美しいと言うだけでない、何か古典的でロマンチックな雰囲気を持ってるんですよね。しかも、彫りの深いザ・白人の顔、というのではなくて、比較的凹凸の滑らかな、スッキリあっさり系の顔で、日本人好みの美女だと思います。

なので、日本の映画ファンの間では結構人気がありました。映画雑誌でも巻頭カラーぺージで特集されてたり。ヘアスタイルやメイクが写真によって違うのでその時々で印象が全然違いますが、淡い栗色に見えるセミロングのヘアスタイルで、ナチュラル・メイクの写真の彼女が一番好きです。「さすらいの航海」の時のウェーブのかかったショートはちょっぴりオバサンぽかった。

「さすらいの航海」(76)は第二次大戦の直前、ナチスによるユダヤ人迫害が本格的に始まった頃が舞台。身の危険を感じたユダヤ人達が、迫害を逃れてキューバに渡ろうと客船に乗り込みます。が、実はその裏では政治的な駆け引きが行われていて、結局キューバは彼らの上陸を拒否。アメリカに向かうも追い返され、やむなくヨーロッパに向けて戻る客船。しかし、戦争が始まり各国はいずれも入港を拒否します。行き場を失った船の上で、ユダヤ人の乗客たちは精神的に追い詰められていく・・・ざっとこんな話だったかと思います。実話だそうです。

リン・フレデリックは、両親と共に乗船したアンナという若い女性。私がリン・フレデリックを知ったのはこの映画よりかなり後なのですが、さっきも書いた通り髪型がオバサンぽかったのでちょっとガッカリ。でも、やっぱり綺麗。
アンナは、絶望のあまり、船員のマックス(「時計仕掛けのオレンジ」とか「カリギュラ」とかエキセントリックな役が多かった俳優、マルコム・マクダウェル。最近も「CSI:マイアミ」の悪徳弁護士役とか相変わらず悪ぅ~い感じ。)と心中してしまいます。こういう純粋で悲劇的な役、似合います。

私は基本的に、上手い役者、演技派と言われる俳優が好きではありません。アカデミー賞常連みたいな俳優が苦手(ロバート・デニーロは例外)。もちろん、ド下手で見るに耐えないのは論外ですが、上手い・下手よりも、その映画の雰囲気に合っている、役に合っている、というのが重要だと思っています。どんなに芸達者であっても、スクリーンの中の世界から浮いてる役者は嫌い。観ていて気が散って、映画を楽しめません。

「さすらいの航海」を観たのはリン・フレデリックが出ていたからで、最初から贔屓目で観ていたので、彼女の演技力がどうなのか私にはわかりません。でも役にはとっても合ってると思いました。それで充分です。
リン・フレデリックの女優としての評価があまり高くないとしても、それはそれ。
私にとって、リン・フレデリックはただ美しいだけの女優ではない。こういう、雰囲気を持った女優さん、どんどん少なくなっている気がします。いわゆる「器用で上手い」人はたくさんいますけど。それも、最近私が映画を熱心に観なくなった一因かもしれません。


リン・フレデリックアルコール中毒になって40歳目前で亡くなっています。

一般には、うんと年上のスター俳優と金目当てで結婚したかのように言われているそうですが、私は、彼女は本当にピーセラが好きで結婚したんだと思っています。ピーセラがパッとしない俳優だったら、それでも結婚したか?そこはわかりませんが。

あくまで想像ですが、リン・フレデリックという女性は、もともとちょっとファザコンの気があったんじゃないか?年配の男性の包容力や優しさを求めて、それともしかしたら英雄崇拝的な気持ちもあって、ピーセラに惹かれたんじゃないか?
こんな想像をしてしまうのは、ピーセラと写ってる写真の彼女の、幸せそうなまばゆいばかりの笑顔と、私のアガサ・クリスティ好きのせいかな。クリスティ作品によく出てくるんです、大金持ちの年寄りと結婚する若くて美しい女性。完全に金目当てで夫にかけらほどの愛情も持っていない女性もいますが、愛とまではいかなくても好意は持っていて、何不自由ない暮らしをさせてくれている事に感謝している女性も出て来ます。本当の愛情で結ばれている年の差カップルもいます。

て言うか、金目当てで結婚するのはそんなに悪い事なのか?安定した暮らしを求めて、或いは穏やかな家庭を求めている女性が、裕福な年配の男性との結婚を望んだとしても、それが悪い事や汚ないやり方だと言えるのか。
大事なのは結婚そのものじゃなく、その後の結婚生活でしょう。たとえ金目当てだったとしても、妻として夫に誠実であったら、夫がそれで幸せだったらそれでいいんじゃないか、他人がとやかく言うことではないんじゃないか。そう思います。

ピーセラの死去からわずか6ヶ月で彼女は再婚したそうです。それも「ピーセラと金目当てで・・・」の風評を強めたみたいですが、最愛の夫を失って寂しさのあまり、という解釈だって出来ますよね。本当のところは本人にしかわからない。

でも結局再婚によってもその寂しさは埋まらなかったのかも。ピーセラの遺産を廻る争いや世間の噂や、そんないろいろな事が、彼女をアルコールに依存するような精神状態に追い込んだんでしょうか?

また私、感傷的な妄想に耽っちゃってますかね?

いずれにしても、若くして哀しい最期を遂げてしまった事もあって余計に、私の中で忘れられない女優さんになっています。



★透明感のある不思議な魅力 シシー・スペイセク

この人を「知る人ぞ知る」で括るのは不適当なんですけど。オスカーも取っているし、有名な作品にたくさん出てるし、映画好きなら誰でも知っている名女優なので。
でも語りたかったので、無理に入れちゃいました。


「キャリー」(76)

最近クロエちゃん主演でリメークもされたホラーの名作。いじめられっ子のキャリーが、プロムでベストカップルに選ばれて皆から喝采を受け・・・というのは、実はいじめっ子たちの作戦で、冠を受けてはにかみながら喜びを噛みしめる舞台上のキャリー、その頭上から大量の豚の血が・・・。豚の血を頭からぶっかけられ、笑い者にされ、ついにキャリーの怒りの炎が放たれる。

いじめっ子に無名時代のジョン・トラボルタや後に「キャリー」の監督ブライアン・デ・パルマ作品の常連となるナンシー・アレン。いじめっ子じゃないクラスメートにやはり無名時代のエイミー・アーヴィングやウィリアム・カット。デ・パルマの眼力、恐るべし。

超能力少女キャリーを演じたシシー・スペイセクは、撮影時20代後半だったんじゃなかったかな、確か。全く違和感なかったです。小柄で華奢で、こういう表現していいのかわからないけど、ちょっと栄養失調の子供みたいな感じがするシシー。その弱々しい風貌とそばかすの目立つ小さな作りの顔。いかにもいじめられっ子というルックスです。

でも、他の映画だと、意思の強い大人の女性に見えたり、ブロンドの髪が美しいエレガントな女性に見えたりするから不思議。美人という顔立ちではありませんが、透明感のある美しさがあり、年齢にわずらわされない、不思議に魅力的な女優さんです。

シシー・スペイセクの凄さは、一作毎に違って見えるのが、役作りの成果、演技力の賜物、と感じさせない所。頑張って役作りしました、という感じが全くしない。本当に、素顔もこのまんまの人なんじゃないかって思ってしまう。


家でも学校でも、いつもオドオド、ビクビク、臆病な小動物のようなキャリー。

その、弱々しい風情が一転、怒りによって解き放たれた「力」でプロム会場を火の海にするシーンの表情、恐いです!本当に超能力ありそうに見えた。
でももっと恐かったのは、宗教に凝り固まってキャリーを抑圧するママだったりする。不気味。

そのママ役パイパー・ローリーと共に、シシーはアカデミー賞にノミネートされました。ホラー映画での演技でアカデミー賞にノミネートされるのは、この当時は珍しかったんじゃないかと思います、多分。

余談ですが、リメーク版、クロエちゃんが冴えないいじめられっ子キャリー役って、どうなの?


「ミッシング」(82)

これ、私のベスト・ムービー・トップ10の1本です。この映画のシシーが一番好き。

南米チリで暮らすアメリカ人夫婦。地元に溶け込み、貧しくも自由で平和な日々を楽しんでいた二人は、突然起こった軍事クーデターに巻き込まれる。
友人の家を訪れた帰り、クーデターの影響で帰宅の足を奪われた妻ベスは、戒厳令下の街で恐怖の一夜を過ごす。朝になって外出禁止令が解かれようやく帰宅したベス。しかし、家に夫チャールズの姿はない。近所の人が、軍に連れていかれるチャールズの姿を目撃していた。ベスはアメリカ大使館に助けを求めるが、彼らは慇懃無礼な対応に終始し何故か非協力的。やがて息子失踪の連絡を受けたチャールズの父エドアメリカから駆けつけ、二人はチャールズの行方を捜し始める・・・。

これ、実話に基づいています。それを知った上でこの映画を観て、ラストに衝撃を受けました。あの先進国、民主主義・自由の国のアメリカがこんな事を本当にするのか?と。当時は私も若かったのでウブだったんですね。今なら全く驚きません。

「ああ、アメリカならそれくらい平気でやるでしょうね」

この映画公開時、アメリ国務省が「この映画に描かれている事は事実ではない」といった主旨の公式コメントを出したそうです。それに対して監督のコスタ・ガブラスは「たかが映画なのに、そんなにムキになっておかしいよ。」と言ったとか。ただ、元俳優のレーガン大統領は、後にエド役のジャック・レモンに会ったとき、「ジャックの演技が良かった」と話したそうです。

私はこの映画の内容に衝撃を受けて、ここで描かれた事のどこまでが本当なのか知りたくて、関連の本をいくつか読みました。その結果は7:3ぐらいで「アメリカならあり得るかな~?」でした。
でも、アメリ国務省が公式に否定のコメントを出したという話を知って、ガブラス監督の言うように「たかが映画」にそんなに反応するという事は、逆に、その内容が事実なんだな、と思った記憶があります。

この映画でシシーは、夫と強い愛情と信頼で結ばれている、芯の強い女性ベスを演じています。異国の地で、しかも軍事クーデターという異様な状況下で、頼りになるどころか神経を逆撫でしてくるアメリカ大使館員や関係者とやり合い、価値観の違う義理の父エドとぶつかりながらも協力して必死に夫の行方を捜すベス。不安と恐怖と怒りと哀しみとで、時々爆発したり崩れそうになったり。その表情が本当にリアルでした。

あ、これを書くのに、この映画のパンフレットを引っ張り出して読んでいて「!」ってなった。

この、チリの軍事クーデターが起こったのが、1973年9月11日・・・

ちょっとゾゾッとしました。


JFK」(91)

ケネディ大統領暗殺事件を題材にした大作。シシーは、事件の真相を追う、ケビン・コスナー演じるギャリソン検事の妻役。出演シーンは多くないです。そのため他の作品に比べて極端に印象は薄い。そもそも豪華キャスト共演作とは言え、オスカー女優シシーをこんな出番の少ない役で使うなんて贅沢過ぎますよ、オリバー・ストーン監督。
あ、これにもジャック・レモン出てる!



★見るたび違う顔に見える個性的美人 ビバリー・ダンジェロ

この女優さんを知ったのは「ヘアー」(79)という映画で。ブロードウェイの大ヒットミュージカルを映画化したものです。
ブロードウェイで上演された時は出演者が全員全裸で演じた、とどこかで読んだ記憶があります。その時は「やっぱりアメリカ、ブッ飛んでるなあ」と思ったものです。
改めて考えてみると、それって法律的にどうなの?表現の自由ってやつでお咎めなしなの?法的にセーフだとしても、出演者も観てる人も気にならないの?ユサユサ、ブラブラしてるのが気になって内容が頭に入ってこないんじゃないの?
こんな事が気になるのは私が俗物だからなんでしょうかね?

ところで、何で全裸?タイトルが「ヘアー」だから?
違うと思います。

ここでの「ヘアー」はヒッピーの代名詞、長髪の事。ベトナム戦争時徴兵を拒否し、髪を伸ばしてラブ&ピースなヒッピーになった若者たち。反戦の象徴なわけですね。
この映画もそうですが、この頃のアメリカ映画は反戦ものが多いです。ベトナム戦争の影響ですね。
反戦が主題とは言え、全然堅苦しくも重苦しくもない、エンタメ・ロックミュージカルです。

繊細な個性が持ち味のジョン・サベージ演じる主人公クロードは、召集令状を受け、軍に入る前の期間をニューヨーク見物に充てようと田舎から出て来ます。そこでヒッピーグループと知り合いになり、良家の令嬢シーラに出会って恋もします。徴兵を拒否した反戦思想のヒッピーたちはクロードを止めようとしますが、クロードの意思は揺るがず義務を果たすために入隊。そして・・・皮肉なラスト。

でもこれを観た当時の私には、ストーリーとかほとんどどうでも良かった。

私は舞台が苦手です。大声でがなりたてるセリフ、大袈裟な芝居、派手な動き。広い劇場で隅っこや後ろの方の観客にまで伝えないといけないから、舞台ではそうなるのも当然、と言うかそうしないと伝わらないから仕方ないんですけど。
でも、「今、我々は精一杯芝居してます」って全身全霊でアピールされてる感じがして、やっぱり苦手。
特にミュージカル!舞台上の役者さんたちが熱演すればするほど何か滑稽で笑えてきちゃって。それも普段感情をあまり表に出さない、表現が地味な国民性の日本人がやると、無理してる感じがして不自然で見ててツライ。タモリさんもミュージカル苦手って言ってましたよね。

でも、この映画「ヘアー」は凄く良かった!
まず音楽がいいです。ロックと言ってもギンギンのやつじゃなくて割とポップな感じ。多分オーケストラが入っていて、クラシックぽさもあります。
演出もいい。ミロシュ・フォアマン監督はこの後、あの「アマデウス」を手掛ける事になります。「アマデウス」はミュージカルではないけれど、主人公モーツァルトの曲を効果的に使っていて、その音楽の使い方やモーツァルトの破天荒なキャラクターもあって、何となく「ヘアー」に通じるロックミュージカル感がありました。

ビバリー・ダンジェロは令嬢シーラ役。大人っぽい顔立ちの割に歌声が若々しくて透き通っていて、歌声だけ聴いたらもっと少女っぽい女優を想像してたと思います。
ビバリーの顔に対する私のイメージは「ちょっとエラが張ってて、整ってるけど目鼻口が顔の中央によりぎみで、個性的な美人」。リン・フレデリックもそうなんですけど、写真によって全然違う顔に見える。不思議。

そう言えばビバリーは、前出のシシー・スペイセクと「歌え!ロレッタ 愛のために」(この邦題何なんだろ)で共演しています。実在のカントリー歌手の人生を描いた映画で、主人公ロレッタ・リンをシシーが、カントリーの女王パッツィ・クラインをビバリーが演じてます。私はこれ観てないです。近いうちに観たいな。ちなみにロレッタの夫役は、缶コーヒー好きの宇宙人、トミー・リー・ジョーンズです。

ビバリーの出てる映画、私は結構観てるみたいです。「アニー・ホール」「ファースト・ラブ」「結婚しない男」「星に願いを」「プランケット城からの招待状」「パシフィック・ハイツ」・・・でもあんまりビバリーの印象がないんですよね。そうだ!ビバリー出てた、出てた!って覚えているのは「ファースト・ラブ」「結婚しない男」くらいかな?

それだけ「ヘアー」の印象が強かったという事かな?
「ヘアー」の中で、最もビバリーの印象深いシーンは、確かマリファナか何かを吸ってトリップしたクロードの空想の中で、妊婦になったシーラが飛ぶシーン。飛び上がる前に、鳥が羽ばたくみたいに腕をパタパタしてるところ。子供みたいな一生懸命さでちょっとコミカルで可愛かった!記憶を頼りに書いたのでいろいろ間違ってるかもしれませんが。

ビバリーは一時期アル・パチーノと付き合っていて子供ももうけたみたいです。そう言えばそういう話、どこかで読んだような気も。最近のお姿の画像も見ましたけど、相変わらず綺麗。良かった!まとめサイトなどの、劣化したハリウッドセレブ仲間に入ってなくて。

最近はそれほど精力的な女優活動をしてないみたいですけど、これからも陰ながら応援していますよ。



語りたい、知る人ぞ知る女優さんはもっともっといます。また、機会があれば。




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まずはお詫びから。
キアヌの事を「残念なハリウッドスター」なんてタイトルで書いてしまった事。
世界中のキアヌ・ファンに、そしてキアヌ自身にお詫びします。
何をトチくるったんでしょうね、私めは。

キアヌは今でも全然残念なんかじゃない!


前回「スピード」以前の所まで書きました。
幾つか抜けていた事に気がついたので追加しときます。


91年にキアヌはポーラ・アブドゥルの"Rush Rush"というPVに出ています。
PVのコンセプトはジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」のイメージで、キアヌの起用はポーラ自身の希望だったようです。
これ、残念ながら私はちゃんと見たことがありません。一部をチラッと見ただけなような気がします。もしかしたら、見たのに忘れてるだけかもしれませんが。何しろずいぶん昔の事なので。

それから、多分この頃に、日本のCMにも出てました。ウィスキーか何か、とにかくお酒ののCMだったと思います。※調べたらサントリーリザーブでした。
確か、猫から人間に変身した美女に迫られて、ソファーからでんぐり返って身をかわす、みたいな、ちょっと変わった演出だったと記憶してます。「スピード」でブレイクする前なので、日本ではまだ知る人ぞ知る存在だったキアヌを、アクションスターという認識でそういう演出にしたのかなあ、と当時の私は感じてました。


もう一つ。カナダで買ったキアヌのミニ・ブックに日本の事がちょっと載ってたのでご報告。

「『ハートブルー』が日本で公開された時、キアヌはJapanese Oscar Award for Best Actorを取った」という記述がありました。文字通り読めば、日本アカデミー賞主演男優賞を獲った、という事になりますが、これは多分「スクリーン」「ロードショー」「キネマ旬報」あたりの映画雑誌の、読者選出の男優賞か、人気投票で1位になったか、どちらかの事を勘違いして書いたものと思われます。

キアヌは英語圏以外の国でもこの頃から既にそこそこ人気があったと思いますが、日本向けでもないのに、日本での人気ぶりにわざわざ言及してくれてるのが一日本人としてちょっと嬉しかった!


前回「スピード」前までの出演作について語ったので、その続き。


94年公開の「スピード」
この映画で演じたジャック、キアヌが演じたキャラクターの中で、私のベスト3に入っています。
残り2つは、「ハートブルー」のジョニー・ユタ、「マイ・プライベート・アイダホ」のスコットです。

もう、何がどうカッコいいって、語ろうと思っても語れません。言葉にしてしまうとどうしても陳腐になってしまう。
ご覧になった方はわかりますよね?あのカッコよさ。だから今さら言葉にする必要もないと思います。
なので、他の出演者と映画について。


サンドラ・ブロック、可愛かった。
キアヌの相手役、しかも最後にディープなブチュー!他の女優さんだったら「許さん!」てなったかもしれないけど、サバサバ、パキッと明るいサンドラだったから「まあ、いいか」って思えました。
そう言えば、サンドラが「キアヌはキスが上手」と言っていた、とどこかで見た覚えがあります。ミニ・ブックにも、「ハートブルー」の共演者ロリ・ペティが同様の発言をしていた、とありました。一人ならお世辞の可能性もありますけど、私の知ってるだけでも二人が証言。本当に上手いんでしょう。


相棒のハリー。最後までコンビで活躍するのかと思いきや、途中であっさり死んじゃって。それも序盤で、人質に取られ、指で鼻クイされ、相棒のジャックに足を撃たれ、という酷い扱い。
演じるジェフ・ダニエルズは、この映画が製作された頃は多分キアヌより格上の俳優だったと思うのに、よくこんな扱いの酷い役を受けましたねえ。主役も脇役もこなし、悪役も結構演ってます。テレビドラマ「ニュースルーム」にも出てました。いい俳優さんだと思いますが、似た感じの俳優さんが多いせいか、他の俳優さんとごっちゃになりやすい。最近あんまり見ない気がします。
「スピード」以外で一番印象的だったのはクリント・イーストウッド主演の「ブラッド・ワーク」。

余談ですが、クリント・イーストウッドって誰かから狙われたりつきまとわれたり、ひどい目に遭う役が多い、という印象があります。「ダーティ・ハリー」のイメージが強いせいかな。自身の監督作でも多いので、そういうのが好きなのかも。マゾっ気がちょっとあるんじゃないか、しかも女性に痛めつけられたい願望があるんじゃないかって、映画評論家か誰かが指摘してたの読んだことがあります。確かに「白い肌の異常な夜」とかまんまですもんね。あ、なんか誤解を招きそうなタイトルですけど、エロ映画ではありませんので。71年頃の映画だったかな?

私、70年代前半頃の映画やドラマの雰囲気が好きなんですよね。あの、映像のチープで粗い感じが。私の目にはちょっとオレンジがかって見えます。(今から見れば)ダサいファッションやヘアメイク、(みんながみんなではないですけど)素人くさい演技やユルいアクション、全体的に雑な作り、あの雰囲気、二流感が何でかわからないけど好き。何でだろう?

・・・多分、今の洗練され過ぎた映画界・ドラマ界が失ってしまった、荒削りなエネルギーに惹き付けられるのかも。
一時期ハマって、この時代の名作と言われるもの、片っ端から借りて観まくりました。


爆弾魔デニス・ホッパー、似合ってました。いや、似合いすぎ(≧▽≦)
ジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」「ジャイアンツ」などにも出演、69年に監督・脚本・主演した「イージーライダー」という、アメリカン・ニュー・シネマの代表作と言われている作品でブレイクした人です。
私にとっては「地獄の黙示録」のカメラマン役が一番印象が強いです。おっと忘れてた、「ブルーベルベット」と「ハートに火をつけて」のヘンタイおじさんもありましたね。同じヘンタイおじさんでも「ブルーベルベット」は本当にアブない人、一方の「ハートに火をつけて」ではちょっと可愛かった。こんな風にバリエーション豊かにヘンタイおじさんを演じられるのは、デニスおじさんとロバート・デニーロぐらいか?
写真家としても高い評価を受けていて、いわゆる芸術家肌の人みたいです。素顔は意外に繊細な人なのかも。失礼、故人なので「だったかも」ですね。

マクマホン警部補役のジョー・モートンは何と言っても「ターミネーター2」の技術者役。ちなみに「ターミネーター2」は、私のベストムービー・トップ10の一作です。


もしかしたら、これは有名な話なのかもしれませんが、○キロ以下にスピードが落ちたら爆発するっていうの、日本映画で既にやってました。「新幹線大爆破」という作品で、高倉健さん主演の75年の映画。映画そのものは観てませんが、古本屋で手に入れた「キネマ旬報」のバックナンバーで読んだ記憶があります。
ちなみに、現代のアメリカ海軍が演習中に、真珠湾攻撃直前の時代にタイムスリップする「ファイナル・カウントダウン」を観た時は、「戦国自衛隊」のアイデアパクった?って一瞬思いました。


「スピード」についてはもっともっと語りたい事がたくさんあるのですが、キリがないので止めときます。


ここからちょっと、いや、かなりテンション下がります。「スピード」以降の作品、観ている率も低いですし、観た作品も個人的にはどれも今一つ。「マトリックス」も含めてです。以下、観た作品のみ。


95年「JM」。
何でこの映画に出た?

96年「チェーン・リアクション」。
大分前に観たきりで、内容がほとんど思い出せません。

97年「ディアボロス」。
これも大分前に観た作品。これはさすがに覚えてます。アル・パチーノシャーリーズ・セロン共演の悪魔ものでしたね。雑なくくりですみません。
キアヌは野心家の弁護士。ですが、欲深な役は似合わん。


99年「マトリックス」。
「スピード」以降迷走していた感のあるキアヌが、華々しい復活を遂げた作品。なのでしょうが、私には高尚すぎて入り込めませんでした。ちょっと哲学的な内容と斬新な映像で、新しいジャンルを切り開いたとは言えるのかもしれません。
役柄は「スピード」以後の作品の中では一番キアヌに合ってると思います。確かにカッコよかったしアクションも凄かった。でも今一つ萌えなかったのは、キアヌの魅力が衰えたと言うより、やっぱり「ハリウッドスターらしくなってしまった」キアヌに私が不満を感じていたから、かな?

「スピード」でスターの仲間入りをするまで、私のキアヌに対するイメージは「ハリウッドのアウトサイダー」でした。ハリウッドの中にいるけど、決して染まったり馴染んだりしていない異質な存在。そんな風に感じてました。こういう言い方は誤解を招くかもしれませんが、アチラ側の人、ではなく、コチラ側の人、っていう感じがしてました。アジアの血が入っていて親近感があったせいかもしれません。どことなく不器用な人、という印象があったからかもしれません。「スピード」前までは、インタビュー記事を見ても、不器用で慣れてない感じでした。シャイでメディア対応が苦手なイメージでした。そんな不器用さが愛おしかった。かっこいいルックスやアクションとのギャップに萌えた。

それが、「スピード」以降、ハリウッドスターらしい雰囲気に変わった、取材での立ち居振舞いも堂々として洗練されてきた。一方的で偏った見方かもしれませんが、私にはそういう風に感じられました。それは全然悪い事じゃないのに、私には不満、と言うか、寂しく感じられた。勝手なもんですね。

そんなわけで「マトリックス」で更なるブレイクを果たした後は、私にとって更に遠い人になってしまったキアヌ。


00年「ザ・ウォッチャー」。
殺人鬼かあ・・・いろんな役に挑戦しようという意欲はわかりますが・・・。でも、不気味な感じはそれなりに出てましたね。

01年「スウィート・ノベンバー」。
シャーリーズ・セロンと再共演。キアヌとシャーリーズって似合ってるんだか似合ってないんだか、今一つ結論が出せません。同時に、キアヌとラブストーリーというのも、合ってるんだか合ってないんだかよくわかりません。そのせいか、この映画の印象と言えばエンヤの曲だけ。この曲、大好きです。エンヤの楽曲使用はキアヌの希望だったらしいですね。

03年「マトリックス」三部作の2、3作目。テレビで観ましたが、途中から集中できなくなって何か他の事をしながら観たので、一応最後まで観たのに内容が全くわかっていません。やっぱり私の知性では追い付けなかった!

同年「恋愛適齢期」。
ダイアン・キートンジャック・ニコルソン主演の大人のラブストーリー。ダイアン・キートン演じる年上女性に惹かれるイケメンドクター役です。
キアヌ自身も、まあ結構な歳なのに、更に年上の女性って・・・と思いましたが、ダイアン・キートンなら納得!
美人でもなんでもないのに何故か魅力的。知的でおしゃれでそれでいて庶民的。歳を重ねてもその魅力は衰えず、美魔女のような若作りではなくナチュラルに若々しい。元々美貌が売りの女優さんじゃないから、歳をとる事がハンデにならない。若い頃こんなに綺麗だったのに何でこうなった?っていう女優さんが多い中で稀有な存在です。

ジャック・ニコルソンと言うと、「カッコーの巣の上で」「シャイニング」「バットマン」と、狂気じみたイメージが強いですが、この手の「もう若くない、でもまだ女性としての魅力を失っていないヒロイン」の恋の相手となるチョイ悪オジサンの役も多いです。「愛と追憶の日々」「恋愛小説家」「恋愛適齢期」ってなんか似たパターンに思えてしまう。
キアヌに恋のレースで勝つ。失礼ながらアノ歳でアノ顔で。でも、こちらも納得!あの、悪がキがそのまま大人になったような、どこか母性本能をくすぐるような可愛さ。日本の「レオン」だっけ?が掲げたような、気取りや気負いのこもったチョイ悪ではなく、天然でガキっぽい、憎めないチョイ悪。不思議な魅力のある俳優さん。アカデミー賞常連って所だけが気にくわなかったけど。

05年「コンスタンティン」。
これも悪魔がどうたらって映画でしたよね。違ったっけ?覚えてるのは水に沈んでるシーンだけ。よくあんなに息止めてられるなあ、役者さんって大変だなあ、と思いました。

06年「イルマーレ」。
サンドラ・ブロックと久々の共演。ロマンチックでファンタジックなラブストーリー。でも、最後のクライマックスのあたりがもたついてて、ちょっと興が削がれた。クライマックスはテンポが大事。

08年「地球が静止する日」。
いや、もう人類なんか滅亡させちゃってもいいですよ、と観てる間中ずっと思ってました。


ここまでしか観てません。「47Ronin」も「ジョン・ウィック」も。こんなんではファンなんておこがましくて名乗れませんね。



ハリウッドスターらしくなってしまった事で、キアヌ熱がちょっと冷めていた私。でも私が思ったハリウッドスターらしさって、立ち居振舞いとかインタビューでの受け答えとか表面的な所だけ。キアヌの中身はずっと変わっていないのかもしれません。
ボロボロの靴をガムテープか何かでグルグル巻きにして履いてたり、ぼっち飯の姿がフィギュアになったり。日本では、小池さん以来のラーメン大好きキャラになってたり。

やっぱりどこか不器用感がつきまとう。そんなキアヌがやっぱり愛おしい。





ところで。

ヤフーニュース!
ラーメンネタ以外のキアヌの記事はないんかい?



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今でも好きだけど前ほど入れ込めない 残念なハリウッドスター その2 キアヌ・リーブス

私のキアヌ熱のピークは「ハートブルー」('91)から「スピード」('94)まででした。
もちろん今でも好きです。でも、以前ほど萌えない。特に何かあって幻滅したとかいう覚えもないんですが。


キアヌ・チャールズ・リーブスは1964年9月2日レバノンベイルート生まれ。お父さんはハワイアン、中国人の血が入ってて、お母さんはイギリス人。私はずっとお母さんはカナダ人だと思い違いをしてました。

昔カナダ旅行した際、キアヌのミニ・ブックを見つけて購入。このネタを書くにあたり再確認したら、アメリカドルでもカナダドルでも1.49ドルになってました。アメリカドルとカナダドルはレートが違うはずなのに。大体1カナダドルは0.8アメリカドルだと思います。
表紙には"Who's Hot!"と"Keanu Reaves"とあるので、多分"Who's Hot!"シリーズのキアヌ・リーブス編という事だと思います。
このミニ・ブックですが、当然英語です。あまり英語が出来ない上、いちいち辞書をひくのも面倒な私はざっと流し読みしかしてないので、細かいところは理解できていません。

その、ざっと把握したミニ・ブックの記述に基づいて以下を書きます。wikiなど他の情報を書き写してもしょうがないので。


8歳の時にカナダのトロントに移り、10代のほとんどを過ごす。アイスホッケーのキーパーをやっていて、チームメイトから「壁」と呼ばれたり、最優秀選手に選ばれたりと有望だったらしい。キアヌ自身も、アイスホッケーのカナダ代表でオリンピックに出るのが夢だったが、ケガで断念。
他にカーレーサーやオーケストラの指揮者などになる夢もあったそうです。

音楽も好きで、ラジオのロック系の番組を聴きまくった。特に好きなのはラモーンズや昔のブルース。

お母さんの再婚相手が舞台俳優で演出家だった事から舞台に興味を持つようになり、9歳頃からお芝居を始め、10代半ばの頃には、アーサー・ミラー(マリリン・モンローの元旦那さんですね)のThe Crucibleという舞台に立つ。
その舞台をキアヌのママが観に行った時、キアヌの「What am I?」というセリフに対して、ママの近くに座っていた女の子が呟いた。「A hunk」。
これは辞書で調べたんですが、パンや肉の厚切りとかの意味しか載ってなくてよくわかりませんでした。キアヌが「僕は自分をハンサムだとは思わない。僕はhunkじゃないよ。」と言った、という記述があったので、多分ハンサムやイケメンを意味するスラング的な言葉なんじゃないかと思います。と書いた後でネットで調べたら、たくましくセクシーな男性を指すスラングでした。当たらずとも遠からず。


15歳の時にトロント・シアター・アート・ハイ・スクールに入るも劣等生だったようで、16歳の時に退学されられる。そこの先生はキアヌの事を「集中力がなく質問が多すぎる。seriousな俳優になるのは無理」と評したとか。

でも、その後もトロントのセカンド・シティやペンシルバニアのヘッジロウ・シアターといった所で演技の勉強をしたり舞台に立ったりした。

コカ・コーラのCMに出て、初めてギャラを得る。
この辺りで既に、地元(トロント限定かカナダ全土の意味かは不明)の10代の女の子にはそこそこ人気があったみたいです。

でも、まだまだ俳優で食べていく事は出来なくて、パスタ・ショップでアルバイトをして稼ぎ、そのうちmanager(=店長?)を任されるように。ただ定職にする気はなく、早く俳優で食べていけるようになってお店を辞めたいと思っていたよう。


この頃カナダ政府は、映画などの撮影に関する税の優遇政策を取っていて、ハリウッド映画やアメリカのドラマの多くがコストの安いカナダで撮影されていた。

これは映画好きの間では結構有名な話ですね。ニューヨークやシカゴが舞台の設定の、この頃の映画の多くがトロントで撮影されてたっていうのは。マイケル・J・フォックス主演の「摩天楼はバラ色に」とか、ニューヨークが舞台なのに、スクリーンに映る車のナンバーがほとんどトロントナンバーだとか。


あるハリウッドの製作チームが、アイスホッケー選手を主人公にした映画をカナダで撮ることになり、カナダの若い俳優を募集。このオーディションに合格したキアヌは、1986年「栄光のエンブレム」という映画に出演、もちろんアイスホッケー選手役、しかもキーパー。セリフは少なかったものの、クレジットでは11番目に名前が載る。これがきっかけでハリウッド行きを決意。
オリンピックの夢はケガで潰えたけど、俳優のキャリアに活かせて良かったね、キアヌ。



ハリウッドで成功できるのはほんの一握り。成功した人も長~い下積みがあって・・・という話は珍しくない。そんな中でキアヌは出世が早かったスターの一人と言えるのではないかと思います。


87年「リバース・エッジ」。ほとんど無名の出演者ばかりとは言え、早くも準主役級。

88年「危険な関係」。何度も映画やドラマになっているこの作品。共演者が凄い!グレン・クロース、ジョン・マルコビッチミシェル・ファイファー・・・、キアヌのフィアンセ役は"キルビル"ユマ・サーマン。豪華です。
この映画での美青年ぶりが評判になり、テレビのトークショーや雑誌のカバーなどのオファーが増えたりしたそう。



この年88年には「危険な関係」を含めて4本の作品に出演していて、早くも売れっ子になっているのですが、ミニ・ブックによれば、88年冬にキアヌは演技のクラスを取ってるようなのです。それもNYやLAなどにある有名どころではなく、マサチューセッツ州レノックスという小さな町にあるシェイクスピア&カンパニーという劇団のクラス。忙しいキアヌは映画やテレビの仕事をこなした後再びここに戻り、「テンペスト」という舞台にも立ったそうです。

かつて劣等生と烙印を押され演劇学校を退学になったキアヌ。でも、この劇団では「キアヌならいつでも大歓迎」とみんなに愛されたみたいです。



89年「ビルとテッドの大冒険」。おバカ高校生コンビのコメディ。アメリカでは大ヒットしたそうで、91年に続編も作られました。ちなみにキアヌはテッド役。


私がキアヌ・リーブスを知ったのは多分この頃だったと思います。映画雑誌の「注目の新人」特集かなんかのページで初めて写真を見た記憶があります。その写真ではロン毛に腰パンで、ちょっとチャラそうだったので第一印象は「こういうタイプのバカ男は嫌い!」でした。そこからいつ好きに転じたのか、よく覚えていません。出演作も年代順に観たわけではなく、どの映画を観て好きになったのか、そもそも映画がきっかけなのかもはっきりしません。もしかしたら、映画雑誌の写真を見て「あれ?あのロン毛のチャラ男、髪切ったらこんなにかっこいいんだ!」ってなったのかもしれません。気づいたら好きになっていて、レンタルビデオ借りて観まくったのだけ覚えています。

90年「殺したいほどアイラブユー」。親友リバー・フェニックスとの初共演作。前年に出演したロン・ハワード監督の「バックマン家の人々」で、恋人役のマーサ・プリンプトン(ドラマ「グッドワイフ」の赤ちゃん同伴弁護士)の実生活での恋人がリバー・フェニックスだった、という関係で知り合い、いつか共演しようと約束していたのが早くも実現。
これは映画館でなくビデオを借りて観た作品で、リバー目当てで借りた覚えがあるので、この時はまだキアヌ❤Loveではなかったと思います。
この作品もケビン・クラインウィリアム・ハートなど豪華キャスト。キアヌはジャンキー・コンビの片割れで、劇中ずっとラリってて話が全く噛み合わない、その噛み合わないやり取りが面白かったです。



そして、91年「ハートブルー」!
原題はPoint Break。分岐点、と訳せばいいのでしょうか?銀行強盗を繰り返すサーファーグループに潜入するFBI捜査官の役。
この時はもう間違いなくキアヌ❤Loveでした。
サーファーグループのリーダー役は「栄光のエンブレム」にも出ていたパトリック・スウェイジ。「ゴースト/ニューヨークの幻」の、あのゴーストになった人です。
キアヌ演じるジョニー・ユタは大学のアメフトスター選手だったという経歴を持ち、その事がサーファーグループの仲間入りをするのに一役買います。サーフィンのシーンもノースタントでこなし運動神経の良さを発揮してますが、キアヌは走り方がちょっと変、もとい、個性的だというのもこの映画で発見しました。
原題の意味がわかるラスト、切ないです。

同じ年「マイ・プライベート・アイダホ」。ガス・ヴァン・サント監督の初期の代表作。リバー・フェニックスと再共演。ナルコレプシーという、ストレスを感じると突然眠ってしまう病を持った、親に捨てられた少年マイク(リバー)と、市長の父親に反発して家出中のスコット(キアヌ)。男娼をして暮らしていた二人は、マイクの母親を探す旅に出る。
これも切ないお話ですが、救いのない出来事の連続の割に、湿っぽいエンディングじゃなかったのが興味深かった。ラストのカラッと乾いた風景とあっさりサバサバしたリバーの表情のせいかな?
ヴァン・サント監督が来日した時に、この映画のエンディングについて「ラストシーンで、青空に大きなスマイルマークを浮かべようか、というアイデアもあったけど、ふざけすぎてる!と言われそうで止めた。でも、日本の観客になら理解してもらえたかもしれない。」って言ってた事思い出しました。
この映画のキアヌ、よっぽどリアリティがあったのか、この後しばらくゲイ疑惑が。私、ちょっと信じてました。こんな魅力的な男性がゲイなんて、女性の立場からすれば「もったいない!こんないい男、何で男に取られちゃうの?」でしょうね。
今でも、もしかしたら・・・?というのはちょっとだけあります。次から次へ浮き名を流す典型的なハリウッドスタータイプじゃないからかも。ファンの一人としては、ゲイだろうが何だろうが、俳優として輝いていてくれれば別にどっちでもいいっす。

92年「ドラキュラ」。前のゲイリー・オールドマンのネタでも書きましたが、今一つでした。コッポラ監督作品で、題材がドラキュラで、ゲイリー・オールドマン、キアヌ、そして、全盛期のウィノナ・ライダー、と来れば期待するなと言う方がムリ。
何が悪かったのかなあ。衣装は美しかったし映像も凝ってたし。ゲイリー・オールドマンはこれまた凝りに凝った役作りをしてたし。
力が入ってるのはよくわかったんですが、何だか気合いが空回りしてるみたいに感じました。
それと、ドラキュラ伯爵が血に飢えた魔人と化したのは愛する女性を失ったため、なんですが、その深い哀しみがあまり伝わって来なかった、感情移入できなかったんですよね。
監督は映像美に拘り、ドラキュラ俳優は役作りに拘った。様式美に拘りすぎて中味が置き去りになったってとこかな?策士、策に溺れたか。

あ、そうそう、ドラキュラのモデルであるヴラド伯爵は趣味が編物だったらしいです。ぷぷっ。串刺し公と呼ばれ恐れられていた伯爵、串がよほどお気に召したんでしょう。


93年「から騒ぎ」。シェイクスピアものです。全然面白くなかった。元々シェイクスピア嫌いなので。デンゼル・ワシントンエマ・トンプソン、え?初代バットマンマイケル・キートンも出てたっけ?と、これまた豪華な顔触れ。しかも監督は、主演も兼ねたイギリスの名優ケネス・ブラナー。でも、ごめんなさい、この人もあまり好きじゃない。
あまり好きじゃない俳優の監督・主演で、嫌いなシェイクスピアもの、という時点で拒否反応が起こってしまって、作品に対してフェアな評価が出来ません。キアヌが出てなければ観ようとさえ思わなかったと思います。
キアヌは悪役のドン・ジョン役。髭生やして悪そうな感じのビジュアルにはしてましたが、やっぱりどうしても人の良さがそこここに滲み出てしまってた気がします。キアヌの事を知らず、先入観無しで観てたら、悪くて嫌なヤツ!って思えたんでしょうか?


94年「スピード」。カッコよかった!前からカッコいいと思ってましたけど、ここまでカッコいいとは思わなかった!! 




「スピード」でスターの仲間入りをしたキアヌ。でもその事が、私のテンションを下げたのかもしれません。
「ボクだけのあのコがみんなのアイドルになっちゃった」的な事なのかも。



前ほど入れ込めないと言いながら、書き始めると熱が入って止まらなくなってしまいました。長くなったので、続きは次回に回します。


同じ「残念なハリウッドスター」のくくりなのに、前のゲイリー・オールドマンのネタの淡白さに比べてこの差は何?

同じタイトルで書いたのが間違いでした。
私にとって、キアヌは今でも全然残念じゃない。



これ書いてる途中に知りました。
今キアヌ、来日中なんですね。
私としたことが・・・不覚!



「残念なのはオマエじゃ!!」

・・・返す言葉もございません。




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★「そこのけ、そこのけ!オレ様のパフォーマンスを見ろ!」
主演二人を押し退けて己の演技に酔っちゃった「レオン」のゲイリー・オールドマン




「ドラキュラ」の頃からちょっと気になり始めてました。

「芝居、ちょっとやりすぎじゃね?」

シド・アンド・ナンシー」という映画で注目されたゲイリー・オールドマン。映画そのものは観ていないのですが、雑誌などでシド・ヴィシャスになりきってる写真を見て「カッコイイ~!」と思ってました。


「ドラキュラ」には、やはりひいきのキアヌ・リーブスも出ていたので、ワクワクしながら観たけど。作品の出来は今いち。キアヌの役も今いち。衣装や映像は凝った作りでそれなりに楽しめましたが。

ヒロインのウイノナ・ライダーが美しかった!映画の雰囲気にとても合っていたし、神秘的な美しさが際立ってました。

ゲイリー・オールドマンも良かった。ただ、「楽しんで演じてるなあ。でもちょっと楽しみすぎてるなあ。」という印象は否めませんでした。
それでもここまではセーフ。

「イギリスの俳優さんって役作りに凝りまくる人多いもんねぇ。ま、しょうがないか。」




「レオン」

ジャン・レノナタリー・ポートマンが演じる主人公2人の、孤独な魂と孤独な魂の間に芽生えた純粋な愛、を描いた作品ですよね。

ゲイリー・オールドマンは仇役。仇役が憎々しければ憎々しいほど主人公は輝く。とは言え・・・


「やりすぎ!ノリすぎ!!」


ゲイリー・オールドマンが出てくるたびに、それまでの映画の流れが止まる。せっかくその世界に入り込んで観ていたのに、シラケて冷める。


はっきり言って浮いてたよ、ゲイリー。

ノリノリで、本人は楽しくてしょうがないんだろうけど、観てるこっちからすると「やりすぎててジャマ!」
アンタが主役じゃないんだから。スタンドプレーは止めてほしい!
映画は役者の演技ショーじゃない!
作品は、アンタたちのエゴを満足させるために作られてるんじゃない!!



マーティ・フリードマンが、日本の歌手の好きな所は、自分の歌唱力を見せつける事よりも曲を聴かせる事を優先している所、曲を大事にしている所、と言っていたのをテレビで見たことがあります。
アメリカの歌手は、曲は自分の歌唱力をアピールするためのツールぐらいにしか思っていないようだ、みたいな事も。(正確にどう言ったか覚えてないんですけど、こういう意味の事を言ってたと思います。)


欧米のアーティストは自己顕示欲が強すぎる?


大好きなアガサ・クリスティのドラマにしても、謎解きやストーリーそっちのけで「英国名俳優によるThe・演技ショー!」と化しているようなのがチラホラ見受けられて、クリスティの一ファンとしては腹立たしい限り。
役者さんがどんな名演技をしたとしても、作品を台無しにしてしまったら意味ないでしょう!


早くから、業界の中でも演技力は高く評価されていたらしいオールドマンですが、長い間アカデミー賞には縁がなかった。2011年の「裏切りのサーカス」でようやく、初めて、主演男優賞にノミネート。
もしかして、アカデミー賞の会員も「アイツ、上手いけどあざといな。」って思ってた?



オールドマンの出演作、それほどたくさんは観ていないのですが、観た中では「JFK」のオズワルド役が一番良かった。本物のオズワルドに雰囲気凄く似てたし、利用されてハメられて大統領暗殺犯にされて、あげく殺される、そんな男の哀れさがリアルで、物語の悲劇性を更に高めていたと思います。


やり過ぎてなかったし。


あ、「JFK」観たくなっちゃった。久しぶりに。
確か3時間近い長さだったと思うけど、全く長いと感じなかった。
良かった頃のオリバー・ストーン作品ですね。



そう言えば最近、こんな風に食らいついて観れる映画、あんまりないな。

映画界のレベルが落ちてるのか、それとも私の感受性が鈍ってきてるんでしょうか?




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正邪を裁くものー毒薬に魅せられたアガサ・クリスティ

大戦中、看護婦として働いた経験から薬に対する知識を得たクリスティ。

特に毒薬に魅せられたみたいで、詩まで書いています。

とは言っても、クリスティに物騒な志向があったとは言えません。
ほとんどの作品で殺人を扱っている推理小説ですが、推理小説を書いているから、或いは推理小説が好きだから、殺人願望があるとは言えないのと同じです。



では、クリスティは毒薬のどこに魅せられたのか?




単純に、色つきの半透明のガラス容器に入った液体が、光を反射してキラキラ輝いて綺麗だった、っていうのもあったでしょう。クリスティの書いた詩にそんな風な記述がありましたし。

その美しさと、毒薬という物の性質とのギャップに魅了されたのかもしれません。





薬品というものは、取り扱いが難しい物質です。使い方次第で毒にも薬にもなる。

例えば、クリスティの処女作「スタイルズ荘の怪事件」に出てくるストリキニーネ。毒薬として知られ、この作品の中でも、サインをしないと購入できない劇薬、と説明されています。

富豪の老婦人、イングルソープ夫人殺害に使われたストリキニーネですが、夫人が常用していた薬にもストリキニーネが含まれていました。
つまり、同じストリキニーネでも、医者の適格な処方によって調合されたものは薬となり、一定の量を越えると人の命を奪う、という事です。

使い方一つで、人を癒すことも殺す事も出来る毒薬。

そこに、クリスティは神秘の力のようなものを感じたのではないでしょうか。




「スタイルズ荘の怪事件」は、クリスティの処女作であり、ベルギーから戦争難民としてやって来たエルキュール・ポアロが、イギリスで初めて手掛けた事件でもあります。生涯の友、相棒のヘイスティングスと一緒に謎に挑んだ最初の事件でもあります。

ポアロヘイスティングスにとって、思い出深いスタイルズ荘。

「スタイルズ荘の怪事件」から数十年が経ち、初老の紳士となったヘイスティングスの元に、ポアロからの手紙が届きます。
「私は今、スタイルズ荘にいる。君も来ないかね?」
こうした導入で始まるのが、ポアロ最後の事件「カーテン」です。

スタイルズ荘は今では高級下宿となっており、ポアロ以外にヘイスティングスの娘ジュディスも逗留していました。

ジュディスは医学博士の助手として、カラバル豆なるものから抽出されるアルカロイド系物質の研究をしていました。

このカラバル豆は、西アフリカのある部族の間で「正邪を裁く豆」と呼ばれていました。その豆を噛むと、罪ある者は死に、罪なき者は助かる、そう信じられていたのです。

実は、よく似ていてほとんど見分けがつかないものの、カラバル豆には二種類あり、一方には致死性のアルカロイドが含まれ、一方には害のない、逆に風土病に効く成分が含まれていた、という、科学的に説明のつく話で、神秘の力でも何でもなかったのですが。




ただ、この「正邪を裁く豆」を「カーテン」で使ったところに、私はクリスティの特別な意図を感じました。



スタイルズ荘という同じ舞台。

ポアロヘイスティングスの最初の事件「スタイルズ荘の怪事件」で使われたストリキニーネ
二人の最後の事件「カーテン」で使われたカラバル豆。

どちらも、毒としても薬としても使われるもの。

これは、偶然などではないと思います。



私は「カーテン」を、クリスティ作品の中で比較的あとの方に読みました。

前々から、クリスティが書いた毒薬についての詩を読んで、何でそんなに毒薬にこだわっているのか、どこにそんなに魅了されているのか、不思議に思っていました。

ずっと不思議に思っていた、その答えを「カーテン」を読んだ時に見つけた気がしました。





人間には二面性があります。
完全な善人、完全な悪人はいない。


妖怪人間ベム」が描いた本質。

「人間は善と悪で出来ている」


そんな人間の姿は、クリスティが魅せられた毒薬にどこか重なる。

それも、クリスティが毒薬に魅せられた一因かもしれません。





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アガサ・クリスティ大好きニャ!中でも何故かクセになる「もの言えぬ証人」

推理小説 しかも短編 なのに読み返す度に泣いてしまう「教会で死んだ男」

本当に処女作?完成度の高いクリスティ「スタイルズ荘の怪事件」

久々に読んだ「シックスセンス」小説版 あれ?涙腺弱くなってる?



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久々に読んだ「シックスセンス」小説版 あれ?涙腺弱くなってる?

最近の私の読書量ハンパないです。
読みまくっております。

手持ちの推理小説を再読し終え、古本屋で特価で買った「金田一少年の事件簿」と「名探偵コナン」合わせて10冊ほども再読破。読むものが無くなり、ミステリーからスパイスリラーものに移行。スパイスリラーものはほんの数冊しか無かったのであっという間に終わり、そして「シックスセンス」を手に取る事になりました。

ちなみに今は「Xーファイル」に取りかかっております。


以下、「シックスセンス」及び他のホラーのネタバレちょっとあります。



映画「シックスセンス」を観てから随分になります。と言っても映画館では観てなくて、テレビで放映されたのを観ただけです。当然吹き替え版です。

小説を読んで、改めて字幕で見直したいな、と思いました。

あとがきを読んで知ったのですが、これ、原作があったわけではなく映画オリジナルの脚本だったんですね。映画になかったシーンなどを若干補完して小説化したみたいです。映画を観て随分経つので記憶が定かではないのですが、「このシーン、映画で出てきたっけ?」とか「あっ、ここ、映画とちょっと違う」とか、記憶の中の映画と比べながら読みました。



それにしてもホラーで泣くなんて。
短編の推理小説アガサ・クリスティの「教会で死んだ男」でも読み返す度に鼻水垂らして泣いてしまうのですが、もしかして涙腺が弱くなってるのか?歳のせいなのか?


いやいや、やはり物語が秀逸だからでしょう。

あとがきで翻訳者も指摘してましたが、「シックスセンス」って従来のアメリカン・ホラーっぽくないですよね。従来のアメリカのホラーって、例えるならビックリ箱みたいなもの。
「出るぞ、出るぞ、出るぞ・・・ホラ出た~!!」って感じで大味と言うか分かりやすいと言うか。

でも「シックスセンス」は違う。
脚本・監督を手掛けたM・ナイト・シャマランがインド系だからなんでしょうか。

アメリカのホラーでは、霊、特に悪霊はただ退治されるだけ、というのが多い印象。
対して東洋のホラーでは、霊にも人格がある、そんな気がします。
ここら辺の知識やはっきりした根拠があるわけではないのですが、キリスト教ベースの欧米と仏教なとがベースのアジアとは死生観が違い、それが霊というものの捉え方、向き合い方の違いになってるのかなあ、と漠然と考えています。

「リング」呪怨」「仄暗い水の底から」など、ハリウッドでリメークもされた日本のホラー。いずれも「悪霊を退治する」というより、その怨み、無念、哀しみを理解しようとする視点があり、更に「仄暗い・・・」では寄り添い癒す事で霊を鎮めようという、「悪霊とは退治するもの」というアメリカのホラーとは決定的に違うアプローチがあったと思います。

「仄暗い・・・」に関しては、映画化されたのをきっかけに、その結末に「あれは母親としてあり得ない。主人公の娘さんが可哀想」とか異論が多くあった事を覚えています。私も最初は同じ感想でした。でも、少し経ってから「主人公のお母さんはああする事で霊を癒し、同時に我が子を守ろうとしたんだな」と理解するようになりました。ちょっとネタバレでごめんなさい。


シックスセンス」には、こうしたJホラーに通じる、情とか癒しのエッセンスがある。



アメリカ ーもしかしたら欧米ー の多くの人々にとって、霊とは生きている自分達とは違う異質なもの、別の世界のもの、映画やドラマを見る限りそういう印象が強い。(もちろん例外もありますが。)対して日本 ーもしかしたらアジアー の多くの人々にとって霊とは、あの世に逝ってしまってはいるけど、完全に自分達とは違う異質なもの、とは見なしていない気がします。


ちなみに、私の本箱にも「リング」の原作本がありますが、恐くて読み返す気になれません。買った時に読んで以来、多分一度も読み返してないと思います。
読まないなら古本屋に持ってこうか、とも思うのですが、なかなか手放す決心がつかない。あんまりあっさり手放すと何だか粗末に扱ってる感じがして、何かばちみたいなものがあたる気がして、ずっと本箱の奥に並べたままになっています。
こんな風に感じるなんて、ある意味ちょっとばかし貞子ちゃんに憑りつかれてるのかもしれませんニャ。



シックスセンス」で私が一番グッとくる所はやはり、コール少年が渋滞にはまった車の中でママに秘密を打ち明ける所。多分、多くの方がそうなんじゃないかと思います。


大人でも抱えきれないほどの「秘密」を抱え、誰かに助けてほしい、理解してほしい、と心の中で叫びながら、でも自分の事を無条件に愛してくれる大好きなママにさえ打ち明ける事ができないコール。

コールの不可解な言動に混乱し悩み「離婚のせいでは・・私のせいでは・・」と自分を責める母親の姿にコールは何を思っていたんでしょう。

「このままでは、いつかママはボクの事が嫌いになるかもしれない。」
そんな風に思った事が何度もあったのでは?

それでも「ママに嫌われる」事より「ママに化け物と思われる」事を怖れたコール。

その心情を想像すると堪らなくなります。ええ、ええ、わかってますよ、フィクションだという事は。でも、こういういじらしい心情、ケースは違ってもほとんどの子供が持ってると思うんですよね。

ちょっと感傷的になりすぎてますかね。




あと、出てくるたびにゲロる少女の霊のエビソード。あれで気になったのが「何で母親は我が子を殺したのか」。

映画では無かったと記憶してますが、小説ではあの母親は昔女優志望だった、という描写が出てきます。
これは、もしかして「代理ミュンヒハウゼン症候群」を仄めかしているのか?と思ってしまいました。

ミュンヒハウゼンとは、「ホラ吹き男爵」として知られる物語の主人公。「バロン(男爵の意)」という映画にもなりました。(私はチョイ役で出てたスティング目当てに観に行きました。)

ミュンヒハウゼン症候群というのはここから名づけられたもので、周囲の同情や関心を得るため自らを実際に傷つけてまでも病気やケガを装う心の病、みたいです。

代理ミュンヒハウゼン症候群とは、その変形版とでも言えばいいのでしょうか。ミュンヒハウゼン症候群と違うのは、傷つける対象が自分ではなく身近な人間。母親が子供を、というケースが多いみたいです。

元女優志望だったから、で疑ったら世界中の役者さん達から怒られそうですね。

でも、小説版がわざわざそこに触れたのは、映画を観た人の中で「なぜ母親が・・・?」という疑問を持った人が多かったから、そしてその問いにある程度答えておくべきだ、とシャマラン監督や小説の著者が考えたからじゃないのかな?と想像しています。

親が自分の子供に手をかける、哀しい事ですが現実にはよく目にし耳にする話です。
でも、監督も小説の著者も「世間ではよくある話」として片付けたくなかった、簡単に流してしまいたくなかったんじゃないかな?と。
だから、観客、読者の想像に任せてもストーリー上支障がないにも関わらず、あえてわざわざ仄めかしたのかな?と。

そんな気がしています。

考えすぎですかね。

またまた感傷的になってるかな?





助けを求めてコールの前に現れた少女カイラの霊。それに応えたコール。この一件をきっかけにコールは大きく変わります。

コールが変わるきっかけとなるエピソードに、この少女の一件を持ってきたのは、コールとリンの母子と対比させる目的もあったのかな?


残酷な異常な絵を描いて教師たちを驚かせ、リンが学校に呼び出されるような事をしたり、挙動不審、情緒不安定だったり。そんなコールの事が理解できず、心配と不安と哀しみと、そして掛け持ちしている仕事と家事とで疲れ果てているリン。
それでも、リンのコールに対する愛情は一瞬たりとも揺らがない。強く深い無償の愛。


揺らがない強く深い愛は、マルコムと妻アンナの間にも存在しています。


シックスセンス」の真のテーマはここにあるのかもしれません。




そして、最後のオチについてですが。

私はオチを知らずに映画を観ました。
公開された時に映画雑誌などを読んで「驚きのラスト!」なるものがある事は承知していました。ただ、さすがにどの媒体も最低限のマナーはきっちり守っていたので、オチの中味は知りませんでした。

その頃からずっとどんなオチなんだろう?と想像してました。

映画を観ながらも、あれこれオチを推理しながら観ていたんですが・・・



ラスト。

「え~!?そ、そうなの!?あ、そうか、それで・・・あ~、そこは全然考えなかった!そういう事か!」

こういう状態でした。

全く想像していなかったオチでした。
気持ちよく騙されたわ。

ただ、そうとわかってみれば、いろいろ腑に落ちるシーンがいくつもありましたね。
と言うか、何でわからなかったんだ、と己の鈍さに驚き!ショック😣

途中でオチが読めた人、結構たくさんいた事を知って更にショック😣

こんなんでよくもまあ、ポアロさんみたいな名探偵になりたい!なんて大それた夢を抱いたもんだ😿






ところで、この小説版、本国アメリカでは、発刊から数年で刊行中止になったそうなんですが、どうしてかな?

も、もしかして、な、なんか怖い事があった?




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実は幽霊の方も生きてる人間が怖い?

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平将門 崇徳天皇に対抗できる怨霊 いるのかニャ?



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本当に処女作?完成度の高いクリスティ「スタイルズ荘の怪事件」

忘れてました。

何度も読み返すアガサ・クリスティ作品。


「スタイルズ荘の怪事件」


アガサ・クリスティの記念すべき第一作。

何十回目かわかりませんが、先日また読み返しました。



いやあ、完成度高い!
本当に処女作なのでしょうか?
殺人トリックといい、伏線の張り方といい、人物描写といい、こなれてますよ。加えて、ポアロヘイスティングスのキャラクターもしっかり固まってるじゃないですか。しかも、ポアロさんの超がつく几帳面な性格が事件解決の一翼を担う事にもなってるし。緻密によく練られているなあ、と改めて感嘆しました。



あらすじ。


旧友ジョンの招待でスタイルズ荘に逗留していたヘイスティングスは、ベルギー人の探偵エルキュール・ポアロと再会する。ポアロは戦争難民としてイギリスに来て、ジョンの義母イングルソープ夫人の援助で、スタイルズ荘のある村スタイルズ・セント・メアリに暮らしていた。

イングルソープ夫人は、数年前に20才以上若いイングルソープと再婚しており、イングルソープは夫人以外の家族や召使らから「金目当てに結婚した悪人」と思われ嫌われていた。また、ジョンや弟ローレンスらは財産が無く、イングルソープ夫人に頼ってスタイルズ荘で暮らさなくてはいけない現状に不満を抱いていた。

そのイングルソープ夫人がストリキニーネで毒殺される。

ヘイスティングスの提案を受け、ジョンはポアロに事件の捜査を依頼する。早速スタイルズ荘にやって来たポアロは、夫人の寝室で、緑色の布の切れ端、壊れたコーヒーカップ、コーヒーのしみ、ココアの入っていた鍋、焼け焦げた遺言状の一部などを発見する。

ストリキニーネは即効性があり、しかも大変苦い味のする毒薬。ココアでは味がごまかせない事からコーヒーに入れて飲まされたと思われたが・・・


このトリック、凄い!上手い!

クリスティならこの程度は当然なのですが、処女作でこれは凄い!と思います。

クリスティは戦争中に看護婦として働いていた事があるとかで、薬に関する知識があり、それを作品に生かしています。

私はストリキニーネという毒物の存在を推理小説で知りました。他によく出て来るのが、青酸カリ、砒素、モルヒネなどですが、さすがクリスティは詳しいだけあって、燐とかコニインとかアルカロイド系毒物とかバラエティに富んでいます。
でも、もしかしたら日本人にはトリカブトの方が有名かも。若い人にはわからない話かもしれません。



ちょっと気になった、というか、驚いたのが、容疑をかけられている夫のイングルソープが、薬局で「犬を薬殺するため」という口実でストリキニーネを購入したとかしないとかいう話が出てくる所。


え~!!犬を殺すの?

どうも、病気になった犬を薬を使って安楽死させる、という事らしいんですが、それにしてもよりによってストリキニーネとは。イングルソープ夫人の死ぬ場面を見ると、ストリキニーネで死ぬのは相当苦しいらしい。
仮に、どうしても安楽死させるしかない、という状況だとしても、ストリキニーネはないでしょう!少しでも苦しみの少ないようにって考えるのが普通では?

「犬を殺すためにストリキニーネ・・・」という話自体も驚きですが、その話が何かサラッと出てきて、登場人物の誰一人として私のようなツッコミを入れない所に更に驚き!

この時代のイギリスではよくある事だったんでしょうか?イギリス人は犬好きのイメージなのに。クリスティ自身も犬好きのはずなのに。何と言うか・・・絶句。

まあ、昔の事だから今とは価値観が違って当たり前で、今の感覚で残酷だ何だと言ってもしょうがないんですが。

でも、しつこいようだけど、ストリキニーネで犬を殺すって・・・。



クリスティや他の外国の作品を読んでいて、時々こういう風に「え~!?」とビックリしたり、カルチャーギャップを感じたりする事があります。


「気付け薬はブランデー」
これは、しょっちゅう出てきます。定番中の定番ですね。日本だと何だろう?日本人も気付け薬にブランデー飲んだりするかな?洋館に住んでるお金持ちなら日本人でも飲んでそう。
気付け薬だと思って飲んだブランデーに毒が仕込まれていて・・・ていうのもありました。油断大敵!

「頭痛にはオーデコロン」
こめかみにつけるようです。香りにもよると思いますが、頭痛いときにオーデコロンなんかの匂いを嗅いだら、私は多分吐き気を覚えると思います。

「枕の下にウェディングケーキ」
これはクリスティの「葬儀を終えて」に出てきたビックリカルチャー。枕の下にハンカチなどで包んだウェディングケーキを敷いて寝ると・・・結婚に憧れる独身女性の夢がかなうと言われているらしい。あ、ケーキと言っても生クリームたっぷりとかそういうやつではないみたいです。生クリームたっぷりのやつだと、ベッドが大変な事になりますからね。日本では、好きな異性の写真を枕の下に敷いて寝るとその人の夢が見られる、とかいうのがあったような。発想は同じなんでしょうね。

他にもいろいろあったと思うんですけど、とっさに思い出せません。また機会があれば。





それにしてもヘイスティングスときたら。

ジョンの奥さんのメリーの優雅な魅力にポ~ッとなったかと思うと、イングルソープ夫人の養女シンシアの涙に思わず「結婚して下さい!」とか言い出したり。殺人事件にポアロを引っ張りこんでおきながらオマエは何をヘラヘラ、フワフワしているんだ!?とグーパンチしたくなるようなお気楽ぶりです。

でも、このヘイスティングスの能天気でおマヌケなキュラクターこそがクリスティの上手さなんですね。
ポアロの相棒でもあり、物語の語り部でもあるヘイスティングスが、自分ではそれなりに賢いつもりでああでもない、こうでもないと繰り広げるトンチンカンな推理が、読者をますます迷わせる事になります。
と同時に、一見支離滅裂なヘイスティングスの思考や他愛もないお喋りが、事件の核心にズバッと迫っていたり、決定的なヒントとなってポアロが真相にたどり着くのに貢献したりします。もちろん、ヘイスティングス自身は、最後にポアロの謎解きを聞くまで全くその事に気づいていません。

この「スタイルズ荘の怪事件」でも、ヘイスティングスの「ポアロ、あなたは○○ですね。」という何でもない一言が事件解決の決定的鍵になっています。



デビュー作とは言え、プロット、トリック、人物描写、伏線の張り方、犯人の意外性などクリスティ作品の中でも秀作の部類に入ると私は思っています。ちょっとだけツッコミ入れたい所もありますが。



ところで。
この作品、第一次大戦中を舞台にしています。戦時中だからあれが不足してる、これを節約してる、とか一応それらしい話は出てきますが、それにしてものんきで優雅な生活してるなあ。上流階級だから、とは言っても戦時中は戦時中ですよ。


大英帝国の「大」って誇張でもハッタリでもなかったんですね。



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天才とバカは紙一重 「深イイ」話と「う~ん」な話も紙一重

昨今の過剰、異常なキムタク叩き。
何をやっても誉めちぎられる男から、何をやっても叩かれる男へ、華麗(?)な転身。
SMAP解散騒動をきっかけに堕ちた偶像になってしまってますが、キムタク自身が変わったんでしょうか?
私の目には、変わったのは世間の見る目、のように思えるんですが。
前にも書きましたけど、キムタクが何をやっても誉めちぎってた頃の風潮以上に、何をやっても叩きまくる今の風潮、気持ち悪っ!





紳助さんがいなくなっても続いている「深イイ話」。
もう長らく見てませんが。


この番組が始まった頃はほぼ毎週見てました。
深イイ話候補なので、毎回いい話ばかり出てきますけど、私の心のレバーは「う~ん」の方が多かった記憶があります。
へそ曲がりのひねくれ屋ですから。


毎週見ていた頃のエピソードで、特によく覚えている話があります。



黒澤明監督にまつわる話。

監督は画面に映らない所にまで気を配っていた。
ある映画で、薬棚が置いてある部屋のシーンを撮っていた。薬棚は中が見えない作りなので、中は空のまま。ところが監督はどうしてもそれが気になる。監督は棚の中にたくさんの薬瓶を入れるようスタッフに指示した。
たとえ、画面に映らなくてもリアルさに拘る。その監督の拘りにスタッフは皆感銘を受けた。

記憶を頼りに書いたので細かいところが違っているかもしれませんが、大体こういう話でした。


スタジオでは、紳助さんを含めた2~3人以外が「深イイ」でした。
その日のゲストに内藤剛志さんがいて、やっぱり俳優さんなのでこの話に感激。「こういう監督のいる現場だと役者としても士気が上がる」みたいなコメントをしてたと思います。記憶違いかもしれませんが。
他の出演者も「さすが世界の黒澤!」「見えない所まで気を配る、こういう事の積み重ねが素晴らしい作品を作るんですね」みたいなコメントを連発。



本当にそうですか?

これ、別に悪い話ではないけど、かと言って特にいい話でもないような。



人はそれぞれいろんな拘りを持っています。仕事にしろ私生活にしろ。他人からみたらバカバカしい、意味のない事でも当人にとっては大事な事だったりします。だから、他人がとやかく言う事ではない。周りに迷惑をかけない限り、どんな拘りを持とうが自由です。

この、黒澤明監督の話もそういう事なんじゃないでしょうか?
黒澤監督の、仕事をする上での拘りに過ぎないのではないでしょうか?
そこにいい悪いも、深イイ深くないも無い。

監督自身、そこまで深く考えてたわけでは無いのではないでしょうか?ただ、そうしたかった、そうしないとどうも気分が悪い、気になってしょうがない、そんな感じだったのではないかな?と思います。
まあ、深く考えず気になるからそうしただけ、という所が逆に深い、と解釈する事も出来ますが。



この「深イイ」のレバーを押した方々にずっと訊いてみたかった。

「この話が、巨匠・黒澤明ではなく、二流・三流の、評価が低い監督のエピソードだったら、それでも深イイと思いましたか?」




多分、これが二流・三流の監督の話だったら、こんな事に拘ってるからロクな映画が撮れないんだ、と現場のスタッフ、キャストから総スカンを喰らい、業界中の人から袋叩きにあってたんじゃないですかね、今のキムタクみたいに。



「深イイ」を押した人のコメントの後、「う~ん」を押した紳助さんのコメント。随分前の事なんで正確には覚えていませんが、私の考えと似ていたので凄く共感したのは覚えています。

あと、紳助さんも映画を撮っていて、その時の経験談も話してました。

周りのスタッフ、キャストは玄人ばかりで、細かい所にやたらと拘るんだとか。
ある時、撮影済みの映像をチェックしていたスタッフが、「監督、あの道の左の方に映りこんでいる影が気になるんですけど。」と言ってきた。紳助さんが見ると画面のほんの一部で、よく見ないと気がつかないほど。紳助さんは答えた。「映画を観た客があの影が気になるようやったら、どっちみちこの映画アカンやろ。」


一刀両断。

お見事っす、紳助さん。



画面に映らない所にまで拘る=名作が撮れる、かどうかはわからないですよね。関係あるかもしれないし無いかもしれない。
多分、黒澤明監督自身にだってわからない事でしょう。
それなのに「さすが世界の黒澤!」とか変に持ち上げられて、あの世で監督も困ってたかも。


ちなみに、私は黒澤作品、あまり好きではありません。何で世界であんなに高く評価されてるのかよくわからない。タケちゃんもそうだけど。外国人の映画のツボが今一つ・・・

特に遺作の「まあだだよ」。途中で我慢できなくなって観るのを止めました。
長野オリンピックの閉会式で欽ちゃんが「みんなで歌いましょう!」と言って「ふるさと」を歌ってた時に感じたのと同じものを感じました。学芸会っぽいというのか、感動を作って押しつけてる感というのか・・・「ほのぼの」「友和」を装ってる感じが何だか耐えられなくて。
椿三十郎」は面白かったけど。



私は紳助さんの事はあまり好きではありません。
でも、ショウビジネスに関わってる人たちの中で、ある種の真摯さを持っている数少ないタレントさんの一人だったと思っています。

番組に料理人を呼んだら、その料理が仮に美味しくなくても「美味しい」と言っておくのが礼儀、みたいな中で、紳助さんは「ゴメン、視聴者騙したらアカンから正直に言わしてもらうな。俺の好みや無いわ。」と、業界の慣習ではなく視聴者の方を向いていた。それも「マズイ」と言う言葉は使わず、料理人に対する気遣いや敬意も忘れずに。


TVのお約束だとか大人の事情だとか、視聴者には関係ない事に縛られて、視聴者の方を全く向いてないTV関係者がほとんどの中で、あれだけ長くTVの仕事をして、いわば「首までドップリ業界に浸かっている」はずの紳助さんが、業界の悪弊に染まらないように意識を持ち続けていたのは凄い事だと思います。

こういうタレントさん、後はタモリさんくらいかな?







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平将門、崇徳天皇に対抗できる怨霊 いるのかニャ?

前に日本史上最恐の怨霊は誰だ?選手権というネタをアップしたのですが、エントリーが平将門崇徳天皇の二人だけというお粗末な事に。

見切り発車的にタイトルつけると後で困る事になりますね・・・。反省。


あれから二人に対抗できそうな怨霊を探してるんですけど、なかなか見つからなくて。
アノお二人が強力過ぎて。


日本三大怨霊のもう一人、菅原道真については独断と偏見で外しました。私の中では完全に「学問の神様」で定着しているので、怨霊というイメージが湧かない。道真様を陥れた輩はほとんど道真の祟りを恐れながら死んでるようだし、復讐は果たされて道真様の気は済んでいるんじゃないかな、と思います。

なので、メンツが足らないからという理由で今更エントリーを要請しても引き受けてくれないと思います。もしかしたら外されたのが不本意でスネているかもしれません。



苦し紛れで、もう貞子ちゃんに出馬を頼むしかないかって所まで自分を追い込んでしまっています。
でも、貞子ちゃんをエントリーさせると伽椰子さんとかにも声かけないとまずいし。下手に揉めて呪われたりとかするの恐いし。



お岩さんは実在の人物ですが、当時の人の間では貞淑な妻の鑑のように言われていて、それが何故か転じて、夫に裏切られて殺された怨霊、という事になってしまったようです。これも「忠臣蔵」同様、芸術の罪ですね。
なので、お岩さんもエントリーは見合わせました。



いろいろ調べるうち、長屋王という皇族に行き着きました。8世紀に生きた人で、藤原不比等の子、中臣鎌足の孫にあたる藤原四兄弟によって無実の罪を着せられ、自害した人だそうです。
数年後、四兄弟は亡くなり、長屋王の祟りと言われたそうです。

ただ、この方も道真様タイプかな?復讐果たして気が済んでるのかな?という印象。



いませんねえ。

仕方ない。ここは将門様VS崇徳天皇の一騎討ちで。



ダララララ・・・(ドラムロール)

ジャ~ン!


私の独断と偏見で崇徳天皇に軍配!


将門様は、首塚とか、所縁のある所に行って不謹慎な事や不敬な事をしない限り祟られない感じがしてます。

一方の崇徳天皇は誰彼の区別なく祟っているような。

そういうわけで日本最恐の怨霊は崇徳天皇



ただし、今は手厚く祀られたお陰で鎮まってらっしゃるような気がします。
将門様たちと共に日本と日本国民を護って下さっている。

結構本気で私は信じています。




怨霊でも、正しく手厚く祀れば護り神になってくれる。
こういう信仰は海外にもあるんでしょうか?

この考え方、敵であっても死者は手厚く葬る、とか、激しく争った相手であっても勝敗が決した後は命は赦す、或いは大将の首と引き替えに他の者の助命は保証する、とか、そういうのにどこか通じている気がします。


日本の神様仏様はただ寛大で慈悲深いだけでなく、厳しく、時に恐ろしい存在でもあると思います。私たちのワガママやおねだりをニコニコ聞いてくれる、私たちにとって都合のいい存在ではない。厳格なお父さんと優しいお母さんの両方を兼ね備えている感じです。だから日本人は神仏を敬うだけでなく、畏怖の念も持つ。

同様に、怨霊も恐ろしいだけの存在ではなく、敬意を持って接すれば慈愛の心で応えて下さるのではないか、私たちを護って下さるのではないか・・・そう信じて、恐れながらも心のどこかで敬い親しむ気持ちがあるような気がします。

あまりにも恐ろしすぎて直視出来ないので、何とかその恐怖心を克服しようと編み出したテクニックかもしれませんが。


私はこの世に恐いものがたくさんありすぎるので、普通に生活してるだけでシンドイ。
なので、一種の自己防衛本能なのでしょうか、恐怖心を和らげるためのテクニックを幾つか編み出しました。

例えば、苦手な蜘蛛を部屋の中で見つけたら、名前をつけて呼び掛ける。
「太郎クン、久しぶり~!」とか「確か、道子ちゃんだったよね?何してるの?」とか。
そうするだけで、蜘蛛に対する苦手意識がちょっと減る。蜘蛛が部屋の中にいて「イヤだ~、気持ち悪い!」っていうのが少し減る。しばらくすると親近感まで湧いてくる、ちょっとだけ。
些細な事なんですけどね。意外と効果があります。






怨霊に対してだけじゃない。

妖怪もそうですよね。邪悪だったり恐ろしいだけでなく、私たちを助けてくれたり導いてくれたり、中にはなついてくる可愛い妖怪もいる。日本人はそう信じている。


これは絶対的に悪、って決めつけて拒絶しない、こういう日本人のユルさ、結構好きです。



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今でもムカつく「江~姫たちの戦国~」 大河ドラマをなめんなよ

大河ドラマは程度の差はあっても、一応史実(正確に言うと、今現在これが史実として最も有力とされている説)をベースにしているので、ストーリーは決まっています。
そこに、製作側の独自の視点や解釈を盛り込んで、人間ドラマとして描いている。

しかも、一年かけて一人の人間の人生、一つの時代を描いていくわけですから、他の映画やドラマでは脇役の一人としてチラッと出てくるだけの人にもちゃんとした人格、物語が与えられたり、「歴史にちょっとばかり詳しい人が語るうんちく話」みたいな些細なエピソードが丁寧に、しかも面白おかしく描かれていたりします。

こういった所が大河ドラマの醍醐味だと思っています。


でも、あくまで史実から大きくはみ出すわけにはいかない。登場人物、特に主人公のキャラクターをユニークに魅力的に描けば描くほど視聴者の関心を惹くことが出来ますが、あまりやり過ぎると主人公のキャラクターと史実に沿ったストーリーとが噛み合わなくなってくる事もあります。

「いや、この主人公がいきなりこんな行動に出るなんて、今までのこの人の言動からしておかしいでしょ!」という場面も、話が進むにつれて増えてくるわけで。
分かりやすい例えで言えば、信長を虫も殺せない優しい性格に設定してしまったばかりに、後に信長が行ったとされる様々な事と辻褄が合わなくなる、みたいな事です。

そこを何とか無理矢理辻褄を合わせようとするから、ご都合主義が発生する。

私が観た大河ドラマの中で、このご都合主義を一番感じてイラッとしたのが「江~姫たちの戦国~」。あれ、私の中で大河ドラマワーストワンです。いやあ、酷い脚本だったわ~!
思いっきり出来の悪い、安いトレンディドラマを大河ドラマに持ち込んだ感じ。
全てが安っぽかったし、嘘くさかった。


女性を主人公にした歴史ドラマの難点は、歴史の一ページとなった出来事に、主人公を大きく関わらせるのが難しい所。大抵の場合、女性は歴史の裏舞台で役割を果たす事が多いですから。
女性主人公を歴史的大事件に絡ませるためには、無理矢理いろんな所に首を突っ込ませないといけません。でも、いろんな所に首を突っ込ませるには、キャラクターや状況をそれなりに説得力のある設定にしないと、不自然で取って付けた感が出てしまう。
この、不自然で取って付けた感全開だったのが、「江」です。


本能寺の変千利休切腹など、歴史的大事件に何でいちいち、しかも唐突に江が出しゃばって絡んでいくのか?

何でいつも江が都合よくその場に居合わせるのか?

何で出てくる重要人物たちが都合よく江と接点を持ち、しかも特に理由もなく江に大きく影響を受けるのか?

江がまるでエスパーのように、その時々の情勢や人の考えを的確に先取り、読み取り出来るのか?

それならもう「信長協奏曲」みたいに「江は、実は現代からタイムスリップした歴女だった」って事にしちゃえば?


何の流れも脈略もなく、江がただただ出しゃばり続け、歴史的場面のあちこちに都合よく顔を出す展開にうんざりしました。

言いたい放題、やりたい放題のワガママ三昧なのに怒りを買って処罰されるどころか、そういう天真爛漫さが江の良さだ、みたいに持ち上げられまくる。あり得ないご都合主義。


これ、女性視聴者を取り込もうとした戦略とかを大きく越えて、江に自らを投影した脚本家が、自己愛と自己顕示欲全開で願望を書き綴ったファンタジーではないかと・・・。この人、多分相当なナルシストなんじゃないかな。

どうでもいいけど、大河ドラマを私物化するのだけは止めて欲しい。

後で知ったのですが、この脚本家、「篤姫」も手掛けた人なんですね。あ~、なるほどね、さもありなん。
私、元々幕末は専門外だったので「篤姫」はリアルタイムでは観てなくて、再放送で初回から観てたんですが、あまりに酷い脚本にうんざりして途中で投げ出しました。
私はこれを観て宮崎あおいが嫌いになりました。それまではいわゆる演技派の女優さんというイメージだったんですが、芝居をやりすぎる人、作りすぎる人って評価に変わりました。


あと、篤姫と江、同一キャラですよね。篤姫を戦国時代にとばして使い回したのが江だと思います。
演じたのが上野樹里だったので、篤姫よりは多少マシだったかな?




元々大河ドラマ好きだし、戦国時代の話なんで頑張って一応最後まで観ましたけど、その最終話で怒り爆発!


歴史上の人物で私が最も好きなのは保科正之という武将です。

徳川二代将軍、秀忠がお静さんという身分の低い女性に産ませた、三代将軍家光からすれば腹違いの弟にあたる人です。

秀忠は江に知られるのを恐れて、産まれた子供とその生母の身柄を人に預けました。後に正之の存在を知った江は、正之を匿っていた見性院(武田信玄の娘)に正之を差し出せ、と要求するも、正之の身を案じた見性院がのらりくらりとはぐらかし守り通してくれたおかげで、正之は無事に育つ事が出来ました。



なのに!

「江」では歴史歪曲なんてカワイイもんじゃない、捏造ですよ、捏造!


最終話。

正之は江戸城に呼ばれ、江と対面。江に怯える幼い正之。心配する周囲。

そんな中で慈悲深き(皮肉)江は言う。
「家族が共に暮らせるようにしなければ!」

それが、あの大奥の始まりであった・・・。



ったく、どこまで江に下駄を履かせるんだか。



その時代に生きていて、全てを見ていた、全てを知っている人は今の世にはいません。

江が嫉妬深かった、秀忠が江の怒りを恐れてお静さんと正之の存在を隠した、江が正之を江戸城に連れて来いと要求した、見性院が応じなかった・・・。
100%間違いなくこの通りだったと断言出来る人は今の世にはいません。

それでも、現存する資料とそれを専門家が検証した上で出した有力な説が、上記の話なわけです。それなりの理由と分析があるわけです。





大河ドラマは歴史をベースにしたドラマですから、多少史実から外れても別に構わないと思います。

「歴史上の人物〇〇は、実は●●だった」とか。

「実は●●だった」シリーズ、私も好きですし。


でも、外していい所と外してはいけない所があると思っています。

大胆な新説を盛り込むなら、それなりに説得力がないと。

「江」のような外し方をするなら、もう最初から歴史ファンタジーと銘打って作ればいい。大河ドラマでやる必要はないと思います。
何でもアリになってしまうと、NHK大河ドラマというもの自体の存在価値が無くなってしまう。





ところで、「篤姫」と「江」を観て別の事に気づきました。


「役者の力量。テレビドラマでは、映画ほどごまかしがきかない。」


脚本の酷さでいい勝負だったこの2作品。
篤姫」は途中で投げ出したけど、「江」はともかく最後まで観た。
一方は幕末、もう一方は大好きな戦国時代、という以外に主演女優の力量の違いもあったように思います。

宮崎あおいが映画メインで、テレビドラマにあまり出なかったのは賢かったと思います。
篤姫」を観て、これからもあまり出ない方がいいと思いました。



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